姫路城:白鷺城(はくろじょう・しろさぎじょう)

姫路城:白鷺城(はくろじょう・しろさぎじょう)

姫路城:白鷺城(はくろじょう・しろさぎじょう) 1920 1080 Michaël da Silva Paternoster

姫路城は日本の現存する最も美しいお城の一つです。白漆喰で塗られた壁や日本で最も大きな木造建築ということから、別名、白鷺城(はくろじょう・しろさぎじょう)と呼ばれています。真偽があり歴史が深いことから国宝や重要文化財に指定され、兵庫県の中で最も観光客の訪れる場所となっています。

私の視点から観た姫路城

  • 文化的興味
  • アクセシビリティ
  • 品質/価格
4.7

Summary

姫路城は、有名な大阪城や名古屋城よりも更に大きな砦です。大阪城や名古屋城は修築された中、白鷺城は第二次世界大戦や阪神大震災に遭ったにも関わらず堂々とした佇まいで現存しています。

修築は一切行われておらず、エレベーターやコンクリート製の壁も無いため、姫路城は真正の城であるということが分かります。

このような理由からもし関西に行く機会があるのならば、ぜひ姫路城に訪れることをお勧めします。姫路は神戸や大阪、京都のような都市からもアクセスもしやすいのもお勧めの理由で、JR東海道新幹線は姫路駅も停車します。もし、すでにJRパスを持っているのであれば、少しの追加料金で姫路駅まで行くことが出来ます。この日本最大の城を訪れないと必ず後悔しますよ。

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姫路城への訪問

姫路城は日本の中で最も入城者数の多い砦です。2015年には、およそ300万人が姫路城を訪れました。

三の丸

ます始めに、城内では最も厳重な門であり、本来三重の城門からなる大手門を通ります。それからすぐに外曲輪である三の丸広場に着くことができ、そこでは姫路城を間近に感じることができます。今では、何もない広場に見えますが、以前は多くの家がこの広場の辺りに建っていました。

三の丸から観た姫路城の天守閣

三の丸から観た姫路城の天守閣

チケット売り場は西の丸と本丸を守る三国堀の目の前です。三国堀からは姫路城の写真を綺麗に撮れます。

西の丸

いの門とろの門を通過した後は二通りの順路がありますが、最後にメインである城を観る為にも、最初は左に曲がったところにある西の丸に訪れることをお勧めします。

西の丸では、長い通廊や城の外壁にある様々な櫓(やぐら)の中を歩くことができます。この西の丸の中でも化粧櫓は最も興味深いもので、千姫の常設展示室として保管されています。この場所についての歴史は後ほどこの記事の中で紹介していきます。

備前丸

西の丸を訪れた後は、備前丸のある内輪曲に戻ってみてください。そこには姫路城の天守が佇んでいます。

この場所からはこの城の中で最も高い櫓の素晴らしい景色を観ることができるだけではなく、後ろを振り返ると姫路の街を眺めることもできます。正直なところ、姫路の街は姫路城を対比しており、現代の都市の建物はそんなに魅力的ではないように感じます。きっと早く天守への入り口に向かいたくなるでしょう。

白鷺城

ついにここで莫大な白鷺城を観ることができます。

ついにここで莫大な白鷺城を観ることができます。

姫路城の天守は五階建で、日本で最も大きな模造建築物です。これが何故、全ての観光客がこの天守を訪れたいかという理由です。木製の階段を使い、この大きな城の最上階まで行くことも可能です。

この城は一度も戦争に直面したことはなかったですが、天守は最後の頼みの綱として防御的な構造になっています。この建物の建築術は包囲攻撃に抵抗する為だと言われています。石を敵に向かって投げる為の天井窓や鉄砲の煙から逃れる為の窓、敵が押し寄せて来た時のための武者隠しの部屋などもあります。

姫路城の歴史

Akamatsu Norimura

姫路城は誰が建てた?

播磨国守護大名である赤松則村(のりむら)が1333年に砦を姫山に築いたのが始まりで、13年後には今の姫路城が築かれました。しかし、最初の頃の姫路城は私たちが知っている現在のような建物ではなく、多くの守護大名がこの砦を最も大切な要の城となるように補強・増築するために協力したと言われています。

黒田家と豊臣家

1546年、黒田官兵衛は後々姫路の城となる砦の塀の中で生まれました。後に天下統一を果たした豊臣秀吉のもとで重役として16世紀ごろ日本で起きた合戦の中で辣腕をふるっていました。

 

合戦での活躍の後、秀吉もまた城の防御的な構造の拡大や三層の天守閣を築くなどして貢献しました。そして最終的に、1583年に秀吉の弟である秀長に領地を譲り渡しました。秀長は木下家定によって代が替わる二年の間、大地主でした。

池田輝政

1600年、決定的な合戦“関ヶ原の戦い”で豊臣家が没し、徳川に政権が渡りました。この新しい支配一族は新しい幕府を築けるよう一族を助けた各大名をそれぞれの領地に置きました。新しい将軍となった徳川家康は姫路城を義理の息子である池田輝政に譲渡しました。

この新しい領主となった池田輝政は、現代の形である白鷺城へと大規模に改修しました。七層にもなる城へと改修し、着工し始めて8年後の1609年に完成しました。

改修中の姫路城の天守閣

改修中の姫路城の天守閣

池田輝政は池田家の後継者の不安から転封させられ、1617年に池田家の同盟家系である本多忠正に領地を引き継いだことからこれらの建築的な偉業にあまり感銘を受けていないよう見て取れます。

千姫の生涯

新しい領主となった本多忠正は彼の息子である忠節と義理の娘である千姫を連れており、その中でも千姫は後に白鷺城の歴史の中でとても大事な人物となります。今日、砦の一角で彼女の複雑な生涯が祭られており、その複雑な生涯は過去四世紀に渡り多くの日本人の劇作家に影響を与えています。

一家争いの中の無実

徳川将軍の他にもない娘である千姫は彼女の生涯の中で重要な武家と同盟を結ぶために何度も交渉の切り札として扱われていました。

豊臣秀吉は、豊臣家が徳川家に反しないことを保証するために、秀吉の息子(秀頼)と当時わずか7歳の千姫を結婚させました。数年は両家の間に融和は保たれましたが、千姫の家族が大阪城への攻撃した後、千姫の夫である秀頼は自害を試みました。最終的には千姫の祖父である徳川の部隊に命をとられ、豊臣家は滅亡しました。

惨事

千姫はこの惨事から生き延びることができましたが、彼女は再び政権的な目的で家康の親族である本多忠政の甥男である本多忠刻(ただとき)と結婚することになりました。翌年1617年には姫路城に移封となり、千姫に二人の子どもが生まれるまでは、全てが上手く行っているように思われました。

Senhime in Himeji (by Sakurai Midori)

姫路城内にある千姫の肖像(写真提供 桜井みどり)

しかし、この喜ばしい出来事は平和な日常に終わりを告げる結果となりました。彼女の息子が3歳で亡くなり、それを追うかたちで夫である忠刻も結核で倒れました。それだけでは留まらず、数ヶ月後には千姫の母親も他界しました。

失望の中、千姫は尼になる決意をして、姫路城を離れることとなりました。最終的に千姫は自身の残りの生涯を彼女の祖父である家康が築いた江戸で過ごしました。

姫路のための重要な女性

今日、西の丸内にある千姫がくつろいだ部屋、化粧櫓は悲痛な生涯と遂げた女性である千姫を祭っています。

明治時代に起きた廃城令

徳川将軍と共に、姫路城も含め日本は三世紀にわたり平和が保たれていました。しかし、予想もできない出来事で状況は一変したのです。

この平和な時代は、1867年に起きた“明治維新”で終わりを告げます。徳川幕府は明治政府の天皇親政体制の倒幕運動により追い出されました。

この時代、日本では近代化と西洋化が進み、明治政府の第一目標であった幕藩体制の廃止もこの時代に行われました。日本の城は古い政権構成の象徴と考えられ、明治政府は城を破却しようと企みました。

最後のどんでん返し

多くの砦が着々と解体される中、幸運にも、姫路城は57ある保存するための城のうちの一つだったため、解体は逃れることはできました。

しかし、完全に無傷だったわけではありません。数多くの建物が取り壊され、その跡地には陸軍の部隊の兵舎などが建てられました。

城の競売

1871年には、幕藩体制も完全に廃止とされました。姫路城は競売に付され、この街の住民にごくわずかな金額23円(現在の貨幣価値で約十万円)で当時落札されました。

落札者はこの城を保存するために落札した訳ではなく、単純に取り壊して、広大な土
地を利用して利益を得ようとしたのです。しかし、姫路城の取り壊しはかなり費用がかかったため、播磨の領主にて再び守られることとなりました。

不滅の砦

第二次世界大戦からも姫路城はほぼそのままの状態で残されました。しかし、姫路城はよくアメリカ軍による空襲の標的とされており、爆弾が城の上に落ちましたが、幸いにも爆発しませんでした。

1995年、この地域は致命的な地震に襲われました。しかし、再び姫路城は持ちこたえたのです。もはや、誰も何もかもこの白鷺城を傷つけることは不可能であるかのように。

世界遺産

1993年12月11日、姫路城は日本初の世界遺産に登録されました。

また、城域内の天守も含め5件の建物が国宝に指定されており、白鷺城は松本城、熊本城に並ぶ、日本の代表的な3つの城の中の一つでもあります。

平成の大修理

修復中の姫路城の天守閣(2010年)

修復中の姫路城の天守閣(2010年)

城の美しさを取り戻すため、城の修復が2009年10月から始められました。
壁の塗り替えと屋根のふき直しを目的に行われました。この大修理は2015年に完了し、観光客は白鷺城を最善の状態で楽しむことができます。

城は誰のもの?

姫路城は日本の国が所持しています。しかし、管理を行っているのは姫路市当局です。

役立つ情報

開城時間

9時〜17時(冬期)、9時〜18時(夏期)

入城券料金

大人1000円
子ども300円

所要時間

2〜3時間。好古園も訪れることができます。

路城は9月1日から4月26日の期間中は9時から17時まで、4月27日から8月31日の期間中は9時から18時まで開城しています。窓口は閉城の一時間前に閉まります。12月の29日と30日は城の門は閉まったままになっています。

姫路城を散策するのに2・3時間を要します。同様に、隣接している好古園の庭園も訪れることができます。

姫路城への入城券は大人1000円、18才以下は300円で購入することができます。
また、姫路城と好古園のお得なセット券も選ぶことができ、大人は1040円と18才以下は360円で購入しることができます。

ドローンについての注意事項

姫路城内ではドローンの持ち込みは厳しく禁止されています。同様に、ドローンのような飛行型カメラの使用は禁止されています。

姫路城へのアクセス

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  • 車でのアクセスの場合、下記の高速自動車道のどれか一つを利用してください。
    中国自動車道、山陽自動車道、阪神自動車道。城にはそれぞれの高速道の出口から約15分ほどで着きます。

    駐車場の心配はいりません。多くの駐車場が姫路城の周りには整備されています。地図を参考にして場所を探してみてください。混雑時のために姫路市当局は多くのスペースを駐車場として設けています。

  • 姫路駅は新幹線によって行くことができます。主要都市からの旅でもしJRパスを持っているのであれば、姫路駅にも行くことができます。

    神戸と大阪から:山陽新幹線で新大阪から約30分、新神戸駅からは20分強で着きます。

    広島と岡山から:山陽新幹線で約20分で着くことができます。

    姫路駅に着いたら、北口から出て商店街の中を約15分ほど歩くと、道に迷うことなく到着することができます。

イベント

随時、イベントの予告を姫路城の公式サイトで確認することができます。イベントが開催されるときは、城内の混雑が予想されるため、城を楽しみたいのであればぜひサイトをチェックしてみてください。

Michaël da Silva Paternoster

2016年以来、日本に住むフランス人です。私は、いくつかの日本と外国の会社のマーケティングマネージャーとコンサルタントとして働いています。

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